1. 三行の数字
王の名も、戦争の記録もない。手のひらほどの粘土板に正方形が一つあり、その中を二本の対角線が横切っている。傍らには三組の数字が残る。30。1;24,51,10。42;25,35。
現在、YBC 7289という所蔵番号で知られるこの粘土板は、紀元前19〜17世紀ごろのものとされる。ハンムラビが生きた時代と重なる。書き手の名はわからないが、板の形と筆跡は書記教育の痕跡を示している。1
三行のうち、ひときわ目を引くのは1;24,51,10だ。現在の十進法で表すと、約1.414212963になる。平方根の記号を添えれば、わずか二文字、√2。バビロニアの書記はピタゴラスより千年以上も前に、その値に迫っていた。
書記には計算機もなく、小数点以下に長々と数字を映す画面もなかった。残っているのは小さな粘土板である。それなのに、この数字と√2との差は百万分の一より小さい。
この精密さはどこから来たのか。一人の驚くべき腕前だけで説明するには、粘土板の背後にあまりにも多くのものがある。数の書き方、計算表、それを学ぶ人、教える人が必要だった。小さな正方形を理解するには、まずその外側の社会を見なければならない。
2. 帳簿から学校へ
第6編では、ウルの役人が穀物と労働を帳簿に記した。第7編では、畑と水路、借金と取引が法の文章に入ってきた。水路が一つ崩れれば、隣人の収穫まで失われた。畑の面積や穀物の量、働き手に渡す取り分は、統治と暮らしの両方がかかった数量だった。
記録するだけでは仕事は終わらない。異なる数量を共通の単位に換算し、分け、もう一度確かめる必要があった。計算を担う者には、文字を読む力と数を扱う力の両方が求められた。メソポタミアの書記教育は、こうした社会で育った。
だからといって、学校の問題すべてが工事現場の注文書だったわけではない。古バビロニアの数学資料には、仕事に必要な水準を超える複雑な問題も残されている。実務を教える教育の内側に、計算そのものを深く扱う余地が生まれたのである。2
畑を測ることから始まった関心が、個々の畑を離れ、図形の性質へ向かうことができた。一定量の穀物を分ける計算が、多くの問題に使える方法に整理されることもあった。社会は計算を求め、教育はその計算を蓄積し、広げる場を提供した。数学が育つには、その両方が必要だった。
YBC 7289の数字も、こうした蓄積の中で読むことができる。研究者は、書き手が対角線の比率を係数表から取った可能性が高いと考えている。この一枚が平方根を初めて発見した瞬間を示しているわけではない。すでに得られた値を別の人が学び、使えたことを示す資料に近い。3

YBC 7289の表面(上)と裏面(下)。表面には正方形と対角線、本文で読む数字が残っている。写真:A. Urcia、Yale Peabody Museum of Natural History。表裏の合成:Theodor Langhorne Franklin。原画像と所蔵情報、CC0。
3. 六十で分けられた桁
1;24,51,10は、四つの数字を並べた暗号ではない。それぞれの位が、一つ前の位の60分の1になる数である。今日、1時間を60分に、1分を60秒に分ける仕組みに似ている。
| 桁の数字 | 値 |
|---|---|
| 1 | 1 |
| 24 | 24 ÷ 60 |
| 51 | 51 ÷ 3,600 |
| 10 | 10 ÷ 216,000 |
したがって、この数は次のようになる。
セミコロンとコンマは、現代の読者のための区切り記号である。元の粘土板にこれらの記号が刻まれているわけではない。当時は今日の小数点のように大きさを確定する印がなく、単位と問題の文脈を合わせて読む必要があった。3
60は分数を扱うのに便利な数だ。半分は0;30、3分の1は0;20、5分の1は0;12になる。十進法では0.333…と続く3分の1も、ここでは小数部の一桁で終わる。ただし、この利点だけで六十進法の成立の歴史すべてを説明することはできない。
書記たちは掛け算表と逆数表を使った。逆数とは、ある数と掛け合わせると1になる相手である。3の逆数は1/3だ。ある量を3で割ることは、その量に1/3を掛けることに置き換えられる。割り算のたびに一から解かず、用意された表を使えるわけだ。
粘土板の三つの数も、一つの計算につながる。一辺を30と読めば、対角線は次のようになる。
最初の数は辺の長さ、中央の数は対角線を求める比率、最後の数は計算された対角線の長さである。辺の長さが異なる正方形にも、同じ比率を使える。一度得た知識が、さまざまな大きさの問題を解く。
4. 面積が二倍の正方形
対角線になぜ√2が必要なのかは、面積を調べると見えてくる。
一辺が1の正方形を四つ並べると、一辺が2の大きな正方形になる。大きな正方形の四辺の中点を取り、隣り合う中点を結ぶと、中央に傾いた正方形ができる。その一辺は、小さな正方形の対角線である。
大きな正方形の面積は4だ。四隅に残った直角三角形の面積は、それぞれ1/2なので、合計は2になる。中央の正方形の面積も2となる。
その一辺をdと書けば、d²=2だ。これが今日、√2と呼ぶ長さである。ここでの記号と図解は、原理を説明するための現代の表現であり、YBC 7289にこの論証が書かれているという意味ではない。
問題は明らかになった。二乗すると2になる数を求めなければならない。1では小さすぎ、2では大きすぎる。1.4を二乗すると1.96なので、少し足りない。その間を定規で測り続ける方法もあるだろうが、計算によってさらに近づくことができる。
5. 二つの長さの平均
面積が2の長方形の横を1.5とすれば、縦は2÷1.5、つまり1.333…となる。横が少し長く、縦が少し短い。二つの長さを等しくできれば、面積2の正方形にたどり着く。
二つの長さの平均は1.416666…だ。これを新しい横の長さとし、再び2をそれで割って縦を求める。今度は縦と横の差がずっと小さくなる。長い辺と短い辺の間で次の値を定める作業を繰り返すのである。
| 段階 | 正確な分数 | 十進近似値 |
|---|---|---|
| 出発点 | 3/2 | 1.5 |
| 1回目の平均 | 17/12 | 1.416666667 |
| 2回目の平均 | 577/408 | 1.414215686 |
| 比較:√2 | — | 1.414213562 |
わずか二回の平均で、差は小数点以下六桁目付近まで縮まる。この方法が働く理由も、長方形にある。面積が2の長方形では、一辺が√2より長ければ、もう一辺は必ず短い。二辺の平均は長い辺より小さく、√2以上なので、次の長方形は正方形に一歩近づく。
二回目の値を六十進法で表すと、1;24,51,10,35,17,…となる。小数部の三桁目までを残せば、粘土板の1;24,51,10と一致する。計算した値全体が、粘土板の値と正確に同じなのではない。
この計算は、当時の数学で高い精度に近づけたことを理解する道筋となる。実際の書き手がこの順序で計算したという記録は、YBC 7289にはない。しかも二回目には17の逆数が必要となり、有限の六十進小数だけでは計算を終えられない。当時の計算表や近似処理をどう用いたかは、別に検討する必要がある。古代の計算手順を復元する研究が必要なのは、そのためだ。3
√2を求めるために、先に無理数の概念を知る必要はない。正方形の対角線という対象はすでにあり、その長さに近い数を順に求めればよい。その長さを二つの整数の比で正確に表せるかどうかは、別の問いである。
6. 直角三角形の数
正方形の対角線は、直角三角形の斜辺でもある。正方形を対角線で切ると、二辺の長さが等しい直角三角形が二つできる。バビロニアの計算は、この特別な場合にとどまらなかった。
プリンプトン322と呼ばれる粘土板には、直角三角形の辺どうしの関係に対応する数が表として残っている。たとえば現代の表記で3²+4²=5²のように、二辺の二乗を足すと残りの辺の二乗になる整数の関係だ。この例は関係を説明するためのものであり、3・4・5がその表の一行をなすという意味ではない。

プリンプトン322。粘土板の上に数が表の形で並んでいる。コロンビア大学所蔵。写真:撮影者不詳、Wikimedia Commons提供画像。当該ファイルのパブリックドメイン表示に基づき使用。
表の正確な目的や、数を得た手順には学説上の議論がある。しかし、こうした関係を扱う計算が、ピタゴラス以前のメソポタミアに存在したことは確かである。4
今日、一人の名で呼ばれる定理の歴史が、その人物から始まるとは限らない。古くから使われていた関係が、後世の数学で新しい形式と説明を得ることもある。√2の歴史にも、そのような変化がある。
7. どれほど小さな単位でも測り切れない長さ
粘土板の近似値は、対角線の計算にとても役立つ。だが、桁を増やすだけでは解けない問題がある。正方形の辺と対角線を、どちらも正確に測り切れる共通の単位は存在するのか。
辺がその単位の整数倍で、対角線も整数倍なら、二つの長さの比は整数と整数の比になる。単位がどれほど小さくても構わない。そのような単位が一つでもあればよい。ギリシア数学で扱われた通約可能性と通約不可能性は、こうした長さの関係をめぐる問題だった。5
今日の記号では、√2を分数で表せるかという問いになる。以下は、それが不可能であることを説明する偶数と奇数の論証である。現代の表記で整理したもので、最初の発見者の計算を再現したものではない。
√2が分数p/qだと仮定する。pとqは、これ以上約分できない正の整数とする。両辺を二乗すると、次のようになる。
p²は偶数だ。奇数を二乗すると奇数なので、pも偶数でなければならない。そこでp=2kと置ける。代入すると4k²=2q²、さらにq²=2k²となる。今度はqも偶数だ。
最初に約分できない分数としたのに、分子も分母も2で割れる。矛盾である。したがって、√2は二つの整数の比では正確に表せない。
桁を十分に計算しなかったための限界ではない。どんな整数を選んでも、そのような分数は作れないという結論だ。1/3も十進法では無限に続くが、分数で表せる。無理数の核心は小数点以下の長さではなく、整数の比で表せないことにある。
近似値は、必要な精度を得る問題を解いた。この論証は、正確な比が存在するかを解く。同じ対角線から、異なる問いと答えが生まれる。
8. 説明を組み立てる方法
ここで、バビロニアは計算しただけで、ギリシアになって初めて考え始めたと分けてしまうと、歴史を見失う。古バビロニアの問題解法にも、図形を分けて動かす手順によって計算の妥当性を示す例がある。手順の中に説明が含まれているのである。残存文献にギリシア式の証明体系がないことを、理由を問う思考そのものがなかったという主張に置き換えることはできない。6
ギリシア数学の重要な成果は、命題とその根拠を連鎖として組み立てたことにある。紀元前300年ごろに編纂されたユークリッドの『原論』では、定義と公準、先に得られた命題を土台に、次の命題が展開される。直角三角形の三辺の関係も、そのつながりの中で証明される。5
ピタゴラスは、それ以前の紀元前6世紀の人物である。現存する特定の証明をそのまま彼に帰属させたり、一度の発見で数学全体が転換したと書いたりすることはできない。バビロニアの粘土板とギリシアの数学文献の間には、千年以上の時間と、異なる教育・知的伝統が横たわっている。
正確な値を得る力と、必ず成り立つことを明らかにする力は、その後の数学でもともに必要だった。証明を得たからといって近似計算が無用になったわけではない。むしろ、何を正確に知りうるかを問うほど、数値計算に残る誤差も明確に扱えるようになる。
9. 知識をつなぐ人々
YBC 7289をもう一度見ると、正方形の傍らの数字が違って読める。それは対角線の長さであると同時に、計算を蓄積し伝える社会の痕跡でもある。誰かが方法を磨き、誰かが表にまとめ、誰かが学んで別の問題に応用した。
畑と穀物、水路と労働を管理する世界が、計算を必要とした。その中で育った書記教育は、実務の要求を超える問題も扱った。計算は暮らしから始まったが、暮らしが直ちに求める答えだけにとどまらなかった。
この小さな粘土板が、後世のコンピューターをあらかじめ約束していたわけではない。ただ、近い値を得て、それを修正し、さらに近づけていく思考は、今日の私たちにも理解できる。先ほどの平均の式を現代の微積分で表せば、x²−2=0に適用したニュートン法と同じ式になる。これは数学的構造の一致であり、その間の歴史が一本の線でつながっているという意味ではない。
世界史をたどり、知識の発生を探る理由もここにある。公式だけを残せば、それを必要とした人々と、教え、改めてきた時間が消える。反対に、時代の風景だけを描けば、人々が実際に見いだした関係を通り過ぎてしまう。粘土板の対角線は、その二つの物語が出会う場所である。
資料と解説の境界
Footnotes
ニューヨーク大学古代世界研究所(ISAW)、YBC 7289。年代は紀元前19〜17世紀とされ、正確な制作年と出土地は確定していない。 ↩
ISAW、Before Pythagoras: The Culture of Old Babylonian Mathematics。教育資料と、職業上の必要を超える問題の難度についての展示解説。本文2章の社会的なつながりは、この資料と前編までの文脈を総合した解釈である。 ↩
David Fowler・Eleanor Robson、Square Root Approximations in Old Babylonian Mathematics: YBC 7289 in Context、Historia Mathematica 25(1998)、366–378。表から係数を取った可能性と、近似手順の復元を区別する。本文の平均法の計算と数値比較は、現代の分数計算で直接検算した。 ↩ ↩2 ↩3
ISAW、Plimpton 322。数の関係と作成目的をめぐる議論。特定の三角関数表とは断定していない。 ↩
ユークリッド『原論』第1巻命題47、第10巻命題9、David E. Joyceオンライン版。本文の偶奇による論証は、これらの命題の翻訳でも、最初の証明の帰属を主張するものでもない。 ↩ ↩2
Jens Høyrup、Mathematical Justification as Non-Conceptualized Practice: the Babylonian Example、Karine Chemla編、The History of Mathematical Proof in Ancient Traditions(2012)、362–383。とくに幾何学的操作の意味と説明を扱う367–371頁。バビロニア数学に正当化がなかったという単純な対比を避けた。 ↩



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